自伝『伊賀 奈々楓です』

2023.12.5

第13回 「末裔うさんくさい」

 今回のテーマは私のプロフィールにもある”伊賀服部氏の末裔”という部分についてです!
私の御先祖様のことについて、歴史が苦手な方にも伝わりやすいよう簡潔にまとめました。
ご一読いただけるとうれしいです。

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■ 伊賀という姓について

 伊賀は私の母方の苗字です。
昔から親戚内では「先祖は平家の武将」といわれてきました。

その人物の名は、伊賀服部平内左衛門家長。

略して、伊賀家長または服部家長とも呼ばれました。[ 以下 : 家長 ]

 家長は伊賀国服部郷(現在の三重県伊賀市服部町)を本拠地とする平安時代末期の武将でした。

本姓は服部でしたが、京の都で平氏に仕えるようになってから伊賀姓になりました。

おそらく、他の服部姓と区別するために「伊賀の服部」と呼ばれ、

いつしか"伊賀"が姓になったと思われます。


■ 家長と平家

 平家随一の武将といわれた平知盛を教育したのは、じつは、伊賀家長の一族でした。

平知盛は平清盛の四男です。

家長の母親は平知盛の乳母だったので、
ふたりは兄弟のように育ったといわれています。

やがて家長は平知盛の重臣として仕え、
さらに安徳天皇の親衛隊長にも任命されました。


■ 家長と忍者

 家長の配下には多数の伊賀忍者がいました。

おもな役割は、源平合戦において安徳天皇と三種の神器を守ることでした。

平知盛が指揮した戦いは、ほとんど勝利を収めています。

その側には、家長率いる伊賀忍者たちがつき従っていたのです。


■ 壇ノ浦の戦い

 源平合戦ラストの戦いとなった「壇ノ浦の戦い」(山口県下関市)。

平家軍が敗れた最後の様子を『平家物語』では" 幼い安徳天皇と平家一門の武将たちは海へ飛び込み自害した "といった内容で記しています。

しかし、それは作者が実際に観戦をして書いたものではないので、事実と異なる部分があるのではないかとも考えられています。

各地に残された平家に関する記録や伝承からは、

「家長は壇ノ浦の戦いで死を装い、安徳天皇と再起を計って落ち延び、宋(中国)を目指したが、暴風のために山陰地方の対岸に漂着した」

という筋も考えられてます。

 実際、現在の三重県伊賀市には私の母方の伊賀家の近しい親戚はおりません。

先祖ゆかりの地として知られる場所は三重県伊賀市にもありますが、

伊賀という姓は兵庫県の日本海側に多くいて、親戚もその辺りにおります。

そして、伊賀家長を祖先とする本家では代々、「平内左衛門」という名前が受け継がれてきました。

(冒頭にもありますように、伊賀家長は通称で、フルネームは 伊賀服部 平内左衛門 家長 です)

また、本家の家紋は海上の安全への願いが込められた"海龍"を表したものが伝えられています。


■ 黒党まつり

 2023年の大河ドラマ「どうする家康」の紀行編でも紹介されました。

伊賀服部一族の奇祭として知られています。

この祭りは、家長が敢國神社でおこなうようになったのが始まりと伝えられています。

伊賀服部一族とその家人たちが、黒装束に身を包み神事に参加しました。

また、さまざまな芸能が奉納され、最盛期には伊賀国最大の祭りだったそうです。

しかし、費用がかかることから戦国時代になると途絶えがちになり、やがて廃止されました。

けれども、平成7年に当時の宮司の熱意により、450年振りに復興されました。

今年も11月23日に開催されました。


■ 家業について

 続いて、どうして私の家業が"忍者"なのか?という部分についてお話をします。

 私の父はかつて大学時代に「忍術研究会」というサークルを創設しました。

忍者が好きだったそうです。

また、京都太秦の殺陣師・美山晋八先生に声をかけていただき、弟子入りをしました。

同時期、最後の忍術継承者である甲賀流伴党21代目宗家・川上仁一先生(現:三重大学 特任教授)から忍術を教わりました。

父方の家は甲賀出身のある人物との関係があったのです。

それは、戦国時代の武将であり、織田四天王のひとりにも数えられている滝川一益。

父方の先祖といわれている、大和国の武将・秋山直国は滝川一益の娘と婚姻関係にありました。

 現在、父方の家では"黒井"の姓を名乗っていますが、戸籍によると、その家系の血は明治時代すでに途絶えていて、

その際、秋山家から養子を出して黒井姓を受け継いだという記録があります。


■ 運命的な出会い

 父は1984年に「忍者集団・黒党」を立ち上げました。

かつて、私の母は銀行員として普通に暮らしていましたが、ある日、たまたま父と出会ってしまい、ひょんなことから忍者ショーに出演するようになりました。(それからは波瀾万丈)

父が立ち上げた「黒党」という団体名は、母の先祖が始めた伊賀一宮 敢國神社の「黒党まつり」に由来があることから、

私は両親に運命的な縁を感じています。


■ 大切な縁

 どの家にも必ず御先祖様がいて、現代に至るまでに何万年という時を経て私たちへと命が繋がれてきたことは、とてつもなく凄いことであると感じています。

これからも自分の御先祖様や身近な方々への感謝を忘れず、日々大切に過ごしていきたいと思います。

拙い文章ではありましたが、
読んでくださってありがとうございました!

ではまた次回!








2023.8.15

#12「海外公演の思い出」

私は海外公演で、韓国、台湾、香港、ベトナム、フランス、中国、モスクワに行かせていただきました。


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▼ 私が出演させていただいた仕事です。


❖ 台湾
2003年
関西広域連携協議会
関西経済団体連絡会議 主催
「関西観光説明会(グランド・フォルモサ・リージェントホテル)」


❖ 韓国
2003年
関西広域連携協議会
関西経済団体連絡会議 主催
「日本関西観光SEMINAR(LOTTE HOTEL SEOUL)」


❖ 香港
2006年
分譲高級マンション
「グランドプロムナード」 


❖ 台湾
2006年
伊賀上野観光協会 主催
観光キャンペーン
(大葉高島屋 ほか)


❖ 香港
2007年
「日本フェスティバル~太古城中心日本文化の祭り~」


❖ 韓国
2008年
伊賀上野観光協会 主催
観光キャンペーン
(ソウル日本人学校、ロッテワールド ほか)


❖ ベトナム
2014年
国土交通省 観光庁 主催
訪日促進イベント
(イオンのベトナム第1号店 タンフーセラドンショッピングセンター)


❖ フランス
2015年
三重県主催レセプション
パリ日本文化会館


❖ 中国 広東省 深圳市
2018年
日本政府観光局 JNTO 主催
深圳益田暇日広場HOLIDAY PLAZA「日本東北之旅」


❖ 中国 上海宝山国際クルーズターミナル → 博多港
2019年
日本政府観光局 JNTO 主催
クルーズ船 「Quantum of the Seas」 船内公演


❖ 中国 上海宝山国際クルーズターミナル ⇔ 博多港
2019年
日本政府観光局 JNTO 主催
クルーズ船 「Quantum of the Seas」 船内公演


❖ ロシア
2019年
在ロシア日本大使館 主催
「第21回 邦楽フェスティバル 日本の心」
チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院



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 お仕事の内容は上記の通りです!

今回はオフタイムで印象に残っている出来事をいくつかピックアップして書きました!✈️


■ 韓国

 昼食に石焼ビビンバを食べようとしたときのこと。

熱々の器にうっかり手を添えてしまい、指に火傷を負って大泣きをしました。

母「熱いから気をつけてね!絶対、器に手を添えて食べちゃダメだよ!」

私「はーい!」

ジュッ🔥

私「泣」


■ ベトナム

 日本とは違って、道路を走るバイクの台数がとっても多くてびっくりしました😳!

イオンモールの駐車場もバイクでびっしり。

街中ではじゅうたんやエアコンの室外機などの大きな荷物を持ってバイク移動している人も見かけてびっくりしました!

そのうえ、歩行者用の横断歩道には信号機が無かったので、渡るときは毎回命がけでした。

 宿泊したホテルの朝食では、コックさんが出来立てのフォーを作ってくれるサービスがありました。

フォーはベトナムの麺料理です。

あっさりしたスープとツルツルの麺が美味しくて、私は大好きになりました☺️

ちなみに父(頭領)は毎朝コックさんに、

" フォーを4人分、作ってほしい "

と頼むときに英語で「フォーをフォー!」

と言って、笑いを取っていました。😑


■ フランス

 黒党、初のヨーロッパ公演でした。

私も初めて時差ボケを経験しました。

サマータイムの時期だったこともあって、現地時間22時になっても外は昼間のように明るく、体内時計がバグってしまいました…

でも、ホテルで一晩ぐっすり眠ったら、

すこぶる元気になりました!💪🏻

 黒党の記念撮影をするために、エッフェル塔の付近で忍者衣装を軽く着た状態の姿で歩いていたら、

通りすがりの人々から「NINJA!」という声がたくさん聞こえてきました。

衣装を完璧に着けていたわけではなかったのに、「なんでバレているんだろう…?」と不思議に思いました😳オーラかな。😎笑


■ クルーズ船

 アメリカの船会社ロイヤル・カリビアン・インターナショナル社が運航する大型客船、
「Quantum of the Seas(クァンタム・オブ・ザ・シーズ)」。

世界で2番目に大きい客船です。

船内はおしゃれなショッピングモールのような雰囲気で、カジノや映画館などもあって、船に乗っていることを忘れてしまうようなラグジュアリー感が漂っていました。

また、ダンスやミュージカルなどのショーが一日中開催されていて、非日常的な空間でした。

私は乗り物の中での公演が初めてだったので、ちょっぴり船酔いをしてしまいましたが…気合いを入れてしっかり頑張りました!🔥


■ 海外公演

 いろんな国の方々と異文化交流ができて、とても刺激的でした。

国によってショーの内容に対する反応や興味を持つポイントが異なっていて、

観てくださるお客様のリアクションを通して学んだことが多くありました。

「ブラボー👏!」という言葉が聞けたときは、喜んでいただけたと手応えを感じることができて、最高にうれしかったです。


■ 貴重な経験

 海外公演にひとりのメンバーとして出演させていただけることは、とても貴重な経験でした。

その経験を無駄にしないように、

関係者の方々への御恩を忘れず、

これからも家業を通してお客様に喜んでいただけるよう、全力で頑張っていきたいと思います。



〜おまけエピソード〜


★ 海外に行くときに必ず持っていくもの

 私はインスタントの納豆汁を持っていきます。

納豆菌は食中毒予防としての効果があるそうです☺️

公演先でも、毎朝お湯を沸かして飲んでいました。

私はお味噌も納豆も大好きなので、
ジャパニーズな味を感じると
ほっこりします♪


★ 海外あるある😎

《 和製英語が通じない 》

・ホームセンター
・ビニール
・ドライヤー
・ホットウォーター


《 不思議な日本語を見かける…》

「パソコソのイソターネット」



 今回も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!


※思い出の写真は当ページに載せると容量があれなので、
私のInstagramのほうに複数枚アップしております!


ぜひ、そちらも見ていただけたらうれしいです📷

< Instagram >
https://instagram.com/iga_nanaka?igshid=MzRlODBiNWFlZA==



ではまた🙌🏻





2023.7.16

#11『まちゃら』

 



■ 寂しい気持ち

 今回のタイトル「まちゃら」というのは、ある方のあだ名です。

それは黒党のメンバー「影」さん。

まだ私が幼くて舌足らずだった頃、
上手く彼の名前を発音することができませんでした。

そこで、呼びやすいようにと彼自身が考えてくれたあだ名が"まちゃら"でした。

 黒党のショーのなかでのまちゃらは、

男忍者たちを束ねる悪ボス役。

舞台で魅せる存在感は誰よりも強いのに、

普段は一切、目立ちたがらず寡黙な人でした。

また、悪役を演じていながらも不思議とトゲや嫌味というものは感じられず、

憎めないキャラクターで子供たちに大人気でした。

そんな彼が突然、この世を去ってから9年が経ちました。

まちゃらがいた黒党のショーを、

もうお客様に楽しんでもらうことができないのだと思うと何年経っても寂しいです。

仕事のときはいつも一緒だったので、
私にとっては家族のような存在でした。


■ 仕事人

 私が見てきた まちゃらは子供想いで、お客様を楽しませることが好きな人でした。

そして、立ち回りの動き、目力、間の取り方、台詞、アドリブ、コミカルな動き、全てにおいて一流でした。

それでいて、普段は無口な人だったので、

舞台の上で魅せる姿との違いに驚く関係者も多くいました。


 彼はいつも本番前になると極度の緊張で「オエッ」を連発していました。

どんなに場数を踏んでも公演前には必ず緊張を見せるまちゃらを、私はとても尊敬していました。

そして、どのような状況でも人前に出れば自然とスイッチが入り最高のパフォーマンスを魅せる。

プロのエンターテイナー、まさに"仕事人"でした。


■ いろんな記憶

 まちゃらは私が幼い頃から仕事仲間として対等に接してくれました。

いつも優しく見守ってくれました。

楽しかった思い出ばかりです。

白米が大好きだった まちゃら。

ビールを飲むと必ず苦い顔をした
まちゃら。

台湾公演で迷子になっちゃった まちゃら。

温かいお蕎麦を食べるとき、回して開ける蓋じゃないタイプの七味を回してしまい、中身を全て投入してしまった まちゃら。


■ ありがとう

 今でも、彼は遠くから黒党のことを見守ってくれているように感じます。

私が仕事で悩んだりしたときは、

独り言で「まちゃら、私どうしたらいい?」と弱音を吐かせてもらっています。

これからも、まちゃらに ちょこちょこ頼りながら頑張っていきたいと思います😊

追記

 この連載を始めてしばらくした頃、もうひとり空へと旅立って行ったメンバーがいました。
その方の名前は「八丁堀」さん。
彼はブルースリーが好きだったので、私は"リーさん"と呼んでいました。
リーさんとも幼い頃からの仕事仲間でした。
ぽっかり空いた心の穴を埋めるためにも、ちゃんと仕事と真剣に向き合ってもっと頑張っていかなければと思いました。

 リーさんと最後に共演したのは群馬県での公演でした。
夜の野外イベントで気温は氷点下10度。
地面も凍る寒さで、私の手も冷えきってしまい、武器の扱いに対して不安がっていると、
「大丈夫!僕ら何年この仕事やってきてるの。プロだから😊」と声をかけてくれました。

リーさんの言葉を胸にこれからもがんばります!!!!!!

読んでいただきましてありがとうございました。
ではまた次回!




#10『スランプ期』

2022.9.29

 今回はファンの方からリクエストをいただきました、私の過去の「スランプ期」についてです。

YouTube【わずか1歳で忍者ショーデビューをした少女。23年の軌跡~抜粋映像集~】では、

9歳の香港公演以降、映像において空白が10年ほどありました。

その10年間も、私は休まず全ての公演に出演しておりましたが、自分自身に対しては悶々とした気持ちが続いていました。



■ スランプ

私は成長期だった11歳頃から、立ち回りの型が崩れ始めました。

身長が伸びたことで、体の動かし方が掴めなくなってしまったのが理由のひとつでした。

根本的な部分を知るために、練習を撮影して動きの確認を繰り返しました。

すると、体の重心や軸に原因があることがわかりました。


◉ 重心

 私は中学生頃からO脚による重心の偏りがみられました。

重心を正しく置くために、靴底にパッドを敷いたり、足を組む癖などをやめました。

また、つま先の向きや足の運び方など、ひとつひとつの動きを意識して直しました。


◉ 姿勢

 刀を振るとき、腕だけに力が入っていたのでフォームが大きく崩れていました。

へっぴり腰になったり、姿勢が前のめりになったり…

黒党の本番刀(木刀)の重さによって、腕が前に引っ張られてしまっているような感覚がありました。

胸をしっかり張るために、背中の筋肉"背筋"を鍛えることで、体の軸が綺麗に安定しました。


◉ 焦り

 体格が子供から大人に変わっていくにつれて、「それなりの仕事ができなければ、ステージに立たせてもらえない」という不安と危機感がありました。

思春期だったので、気に病むことも多くありました。




■ ずっと大切にしていること

  立ち回りのときに、私がずっと大切にしていることを3つあげました。


▶︎ 安全

 周囲の安全が最優先です。

狭い空間や天井が低いところ、奥行きのない場所では、細心の注意を払っております。

頭上にシャンデリア、背後に大型スクリーンや金屏風、重要文化財の屋内など、

黒党は難しい場所での公演が多くあります。

毎公演ごとに会場の広さが変わるので、

その場の幅や感覚をしっかり体で掴むことを大切にしています。

 イベントのタイムスケジュールの関係で、場当たりなしで本番に臨まなければならないときもあります。

どのような仕事も責任感を人一倍持つことを心がけています。


▶︎ 緊張

 私が一番大切にしていることです。

大勢の方々にショーを見ていただくことが仕事ですので、

多くの視線に対する緊張というよりも、

責任感に対する緊張を強く持つように心がけています。

緊張が足りないと感じるときは、失敗するのではないかと不安になります。

立ち回りにおいて、芯を務めることはショー全体の印象に関わることでもあり、いつも責任の重さを感じています。


▶︎ 本番前のげん担ぎ

 その日のショー構成や編成人数によって、公演の内容が大きく変わるので、

自分の台詞や立ち回りの手は、
これでもか!というくらいに頭で繰ります。

自分の失敗は絶対に許せないので、不安な部分がひとつもないようにすることを心がけています。


■ エンターテインメントは人々を楽しませる仕事

 これが私のやりたいことです。

子供の頃から出演し、貴重な経験を通して、周りの方々に育てていただきました。 

家業として続けているのではなく、私は自ら選んだ道を歩いています。

だから、尚更、自分に厳しくありたいです。


■ 目標

 いつか一流と呼ばれることです。

上手になりたい、追求したいという思いで続けています。

私には、まだまだ努力不足な部分が多くあります。

一挙一動、魅せ方や表現力をスキルアップしていきたいです。

いつもファンの方々に応援していただけて、いっぱいパワーをもらっています!😊

とても幸せなことだと感じています。

仕事でつまずいたり、悩んだりするときも、ファンの方々のことを思い浮かべるだけで心が温かくなります😊✨

本当にありがとうございます✨

今回も最後まで読んでいただきましてありがとうございました😊

季節の変わり目ですので、皆様どうかお身体ご大切になさってください😊

ではまた次回!🙌

 


 

#9

2022.8.27

 いつもありがとうございます!
 伊賀なな楓です!

今回は衣装にまつわる思い出です。

自伝を通じて皆さんに楽しんでいただきたいので、格好つけずに、いつも通りの自分を意識して書いていきたいと思います。

よろしくお願いします🙌

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第9回『衣装にまつわる思い出』

 私は去年まで、二十数年間、ショッキングピンクの衣装を着用していました。

黒党では謎に"若手が着る色"という、ある意味、伝統的なものがありまして、私が近年よく着ていたものも先輩方が使っていた衣装でした😊

ステージ上では非常に良く映える色でよかったのですが、そろそろ落ち着いた色を求める年頃になってきたのて、自分で新調しました!

新しい衣装の色は、少し青みのある深い赤です!!

生地屋さんを5軒くらい回って、「コレだ!」という色にめぐり逢いました😊

チマチマとした作業が超絶苦手な私ですが、ヒーヒー言いながらもなんとか縫い上げました!!

大切に着ていきたいと思います!

では、衣装の思い出にまいります!!


その①【鼻血騒動】

 これは、私が小学生の頃に起きた出来事です。

京都の本能寺で公演中、舞台袖で控えていた私の身に思いもよらぬハプニングが…!?

そうです、鼻血です!!

本番中にも関わらず、突然鼻血が止まらなくなり、ピンク色の衣装が鼻血まみれになってしまったのです。

あたふたしているうちに自分の出番が回ってきたので、見えない程度に鼻にティッシュを突っ込んで、舞台に上がり、なんとか立ち回りをやり遂げることができました。

それ以来、鼻血にはかなり気をつけています。


その②【まさかの遭遇】

 これもまた小学生の頃の出来事です。

私は家業の忍者ショーに出演していることを周囲に黙って学校生活を送っていたのですが、

週末、大阪公演のときに偶然、同じクラスの男の子にバッタリ会ってしまいました!

ピンク色の衣装の状態で…!!

 インターバルにメンバー達と昼食を取りにレストランへ行ったのですが、何気なくパッと隣の席を見たら、その子が家族と座っていたのです😳

ちょっと気になっていた男の子だっただけに、自分のなかでは"終わった感"がありました。笑笑

なるべく顔を見られないよう、首を反対側へ90度に曲げながら食事をしたり、メンバー達に「どうか私を名前で呼ばないでください…」と切実なお願いをしたりと、

いろんな手を打って、なんとかその場を乗り切りました。

が!!ホッとしたのも束の間!

翌日、登校すると「昨日、大阪にいたよね!」と言われてしまいました😭

即座に私は「ヘッ!?なんのこと!?」とすっとぼけました。


その③︎【いいとも】

 4歳の頃、笑っていいとも!の増刊号に出演させていただいたときの出来事です。

収録中、私がピンク色の衣装に付けていたピンマイクの送信機が外れてしまい、誰にも言えずに「どうしよう…」とあたふたしていました。

すると藤井隆さんがすかさず気づきその場で急いで直してくださいました。

幼いながらも、そのことだけは記憶にしっかり残っていて、とても優しくしていただいたので、もしも、またお会いできるチャンスがあればお礼をお伝えしたいです😌

以上、衣装にまつわる思い出でした!

最後まで読んでいただきありがとうございます😊

ではまた次回🙌


 

#8

2022.8.25

 いつもありがとうございます!
伊賀なな楓です!

いろいろありまして、半年ぶりの投稿になってしまいました。

それから、ホームページのリニューアル中にもいろいろ起きまして、過去の投稿が全て消えてしまいました!!

いろいろが重なり申し訳ございません!

今回から、小さなおともだち向けにわかりやすい表現で書いた文章も投稿いたします😊

よろしくお願いします🙌


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第8回『忍者ショーでの私』

 ステージデビューをして来月で24年が経ちます。お客様に楽しんでいただくことが、仕事における私の役割であり、最大のやりがいです。

 幼い頃から共演してきた先輩を亡くして以来、私は多くのことに気づきました。

彼らのように、観客を魅了する立ち回りと存在感を持つことが今の目標です。
 
人前に出るのは、楽しいこともあれば辛いこともたくさんありますが、どんなときも全力で真剣に明るく前を向いて、自分を磨いていきたいと思っています。

 現在もイベント業界はコロナ禍で厳しい状態が続いています。

長いブランクがあっても、以前より成長したと感じてもらえるように、日々の鍛錬を頑張ります。

ではまた次回!🙌

 〜あとがき〜

 この連載を再開するまでの半年間、ずっと『忍者ショーでの私』について考えていました。

かねてより書き溜めていたものがありましたが、読み返せば長々とした拙筆な内容で、書き直しを何度も繰り返していました。

結論、今回のテーマである『忍者ショーでの私』とは、言葉で表すことよりも、公演を通じて伝えられるようになることが大切だと、遅ればせながら気づきました。

ショーならではのエンターテイメントをお客様に楽しんでいただけるよう、それに見合った迫力や表現力をしっかり身につけていきたいです。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました😊

ではでは!また🙌